2025年11月11日(火)

交流電化発祥の地

宮城県仙台市青葉区作並相ノ沢4-5 JR作並駅

碑

子どもの頃は電気に直流と交流があるのが不満だった。電池で遊ぶおもちゃは直流だが家庭の電気は交流だ。電池はすぐなくなってしまうので、家庭のコンセントから電気が取れれば困らないのにと思っていた。

駅

鉄道にも直流と交流があると知ったのはいつだったか。常磐線に乗ると取手駅と藤代駅の間で一瞬列車の電灯が消え、モーター音も止まって電車は惰行運転になる。「電車を動かす電気が直流から交流に切り替わるデッドセクション」だと訳知り顔で教えてくれたのは父だったか、友人だったか。

作並駅が交流電化発祥の地だと知って、あやふやだが懐かしい記憶を思い出した。

駅前で休んでいると作並温泉の送迎バスが集まってきた。列車で来る湯治客を迎えに来たのだ。子どもの頃家族で伊豆へ温泉旅行に行った時の、列車を降りると旅館の名前を書いた旗や幟を持った番頭さんたちがわっと集まってきて騒然となった光景を懐かしく思い出した。

デッドセクションを教えてくれたのは、父だったかもしれない。

交流電化の由来 | 作並駅の駅名由来 || 名湯作並温泉の発見伝説